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【ネタバレなし】『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、観客が26年にわたるエヴァの呪縛から解放される話。

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『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観てきました。この時期にネタバレ全開ブログを書くのは、制作者への冒涜だと俺は思っているので、自分の感想をツラツラと書いてみたい。そして、これから見る人が楽しめる内容を目指しました。

 


 

 

 

 

「ああ、エヴァが終わったな」

これが俺の感想です。終わった。本当に終わった。ものの見事に物語を終わらせる物語だった。まさにタイトル通り、シン・エヴァンゲリオンというべき作品だったというのが俺の感想です。そして1995年以来、ずっと取り憑かれていたエヴァの呪縛からようやく解放された気分であり、とても清々しい気持ちになっています。

 

「少年よ、神話になれ」と歌われた『新世紀エヴァンゲリオン』は、大ヒットによりまさに20世紀の神話になった。すべての人類のとは言わないが、多くの人にとって神話だったと思います。

 

何が神話たらしめたのか。それは、「これまで誰も見たことがない作品を作って感動させてやる」といった制作者たちの気合が、見たこともないストーリー、見たこともない設定、見たこともない汎用人型決戦兵器、見たことがない敵、見たことがない演出といったものを形成して生まれた、「カッコよく尖りまくった作品」だったところではないでしょうか。

 

しかしそれは、肥大するファンの期待によって制作者を押しつぶす結果にもなったわけで、作品は未完のままでした。いや、何度も終わりはあった。しかし、その終わりは誰もが納得する終わりではなかった。それゆえ、俺たちの心のどこかには、ずっと消えることのないモヤモヤがありました。それは、エヴァの呪縛といって差し支えのないものとも言えるでしょう。

 

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、エヴァンゲリオンを終わらせる物語になっていました。それは、夢から覚めさせるような作品でもあります。

 

「先へ行け」。そんなメッセージを俺は感じました。

 

かつての『新世紀エヴァンゲリオン』は、1990年代の若者のリアルを反映し、誰も見たことがない物語を目指した結果、その作品を見た人にどんな思いを抱かせるか?という部分がすっぽり抜けた、庵野秀明監督のアニメ作家としての未熟さが出てしまった作品だったと思います。すごい作品ではある。しかし、観た後で前向きな気持ちになるか、日常の活力になるエンターテイメントとして成立しているかというと、そういう作品にはなれなかった作品だった気がします。すごいけど欠落した作品。その未完成さこそが『新世紀エヴァンゲリオン』という作品に魔法をかけていたのかもしれません。

 

完結させるということは、魔法が解けることを意味します。でも、エンターテイメント作品は日常の寄り道であるべきもので、日常を無視してまでのめり込むべきものではありません。時は動いているのです。人間は先に進まなければなりません。『新世紀エヴァンゲリオン』を終わらせるということは、神話ではなくすということに俺はこの作品を見て初めて気がつきました。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』とは、エヴァンゲリオンの神話性を打ち消す神殺しの作品でもあったのです。

 

この作品を発表するということは、すごい勇気のいることだったと思います。しかし、何かを捨てなければ新しいものを手に入れられないように。エヴァンゲリオンの神話が終わることで、新しい何かが生まれることを庵野監督は期待しているのでしょう。それは祈りと言えるかもしれませんね。

 

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、これまでずっと危惧していたいろいろなことが、気持ちよく帰結する物語でした。癒されるヒーリングでもあります。と同時に、観客に旧劇場版とは別の方法で問いかけてくる作品でもあります。

 

「みんな先に進んだぞ。お前はどうだ?」と。

 

考察系動画配信者と格の違いを見せつけた庵野監督。新劇場版としての物語の完結だけではなく、テレビ版からすべて見て、本当の完結の意味が分かる作品の作りは、賛否を生むかもしれない。でも、俺はエヴァの呪縛から逃れられたような気がして、実に清々しい気持ちでいます。だから、こう言いたいです。ありがとう。おめでとう。すべてのチルドレンにさようなら、と。