ほぼ日刊レトロゲームレイダース

おすすめエンタメ情報&笑い話を発信





?



「伝える」ということを軽視している人間は己の罪をもっと自覚したほうがいいと思う話。

f:id:retrogameraiders:20201105005703j:plain

今週のお題「急に寒いやん」 

昔、居酒屋で働いていた時、ある卓にいたお客さんが空いたグラスを持って「これと同じの!」と言ってきたので、空のグラスを持って行ったらぶん殴られたことがある俺なのですが、どう考えたら「空のグラス=さっき頼んだハイボール」と店員に分かると思ったのか、あの酔っぱらいの思考回路がいまだに理解不能です。

 


 

世の中には「どう考えてもそんな言いかたでは伝わらないだろう」と思うことを「絶対に伝わるはず」と信じて、それが伝わらないと「アイツ、バカなんじゃないか」「あの人、ちょっと足りないんじゃない?」と相手の理解力を疑う人たちが存在します。

 

先日、ウチの奥さんとある飲食店にご飯を食べに行ったときの話です。その飲食店は、店内でも食べられるし、総菜を持ち帰ることができるお店だったんですね。俺が食べるものを頼んで、次に奥さんが食べるものを頼んで、それからパラパラとメニューをめくると、奥さんはトッピングメニューを注文しました。しばらく経って、注文したメニューが俺たちのテーブルに運ばれてきたのですが、奥さんは「これ、違う!」と声を上げました。「こっちは持ち帰りにして欲しかったの」とトッピングを指さして言うのです。店員さんが謝って持ち帰り用に包装し直しに店の奥に入った後、奥さんは「私、持ち帰りって言わなかった?」と聞いてきたので「うん、言ってなかったね」と答えると、「その時に教えてよ!」と怒られたのですが、「そんなの分かるわけがないだろ」と思う俺はおかしいでしょうか。

 

そういえば、知り合いにも似た話があって。会社から帰る途中で、奥さんからLINEが来たそうです。「子どもが熱を出しているので、帰りに蒸しパンとポカリスウェットを買ってきて欲しい」とのこと。知り合いは帰りにスーパーに寄って、蒸しパン1つとポカリスウェット1本を買って帰ると、奥さんに怒られたそうです。「明日の私たちの朝ごはんはどうするの!?」。意味分からないですよね。気が利かないのだそうです。ただ、俺に言わせれば、何も状況が分かっていない相手に期待しつつも、「自分がどういう状況で、なぜこの買い物を依頼するのか」を伝えない奥さんのほうも充分気が利かない人間だと思っています。

 

こんなふうに、

 

世の中には「伝える」に関するトラブルがあふれているわけですが、その中でも俺が個人的に許せないのが、「伝える」ということを軽視している人間です。軽視しているくせに伝わらないことに対して怒る人間ですね。最低だと思います。動画を撮って己の愚かさを見せてやりてえです。

 

俺がなぜ、この「伝える」に対して真剣じゃない輩のことを毛嫌いしているかいうと、こいつらが「伝える」をいい加減にするせいで、関わった人間に余計な時間を使わせるからなんですよ。

 

本来、きちんと伝えるべきことを考えて一度言えば済むことを、「伝える」を軽視している人間のコミュニケーションは中途半端でよく分からないので、再度情報を整理したり、聞き返したりしなければならないはめになるのです。場合によっては、相手にやらなくていいはずの作業がやらせることもある。自分を起点にしてトラブルが発生しているのに、当の自分にはその自覚がなかったりするもので、「私のまわりには話が通じない人が多い」と思っていたりするわけです。お前だよ、お前!きちんと自覚させたほうがいいと思います、己自身のコミュニケーション力の無さと、それによって生まれている罪を。そして受けるがいいのです、自らの愚かさにより相手の権利を踏みにじっている罰というものを。

 

ところがですね。

 

こうやって俺は「伝える」を軽視している輩に対して怒りを燃やし、この記事をここまで読んでいただき、「うんうん!」と頷いてくれている読者のみなさんも、伝わらない加害者である、ということもある、というのがこの話のおそろしいところです。そう、本人には自覚がないのですから。

 

そもそも、なぜ、このような伝わるが伝わらないことが起きてしまうか。

 

ちょっと調べて考えてみました。そもそも人間は、それぞれが価値観というものを持っています。この価値観は生まれや育ち、これまでの経験を経て形成されていくものであり、思考の基準はこの価値観をベースにして作られていきます。義務教育というのは、この価値観の上にみんなに対して同じ教育を施していくことで、共通の価値観をつくることに役立っているんですね。いわゆる「常識」はこの義務教育で培われた共通の価値観の中で生まれ、認識されることが多いのではないでしょうか。

 

どっこいところが、すべての人間が同レベルの教育を受けたとしても、そもそも土台となっている価値観が異なるわけですから、すべての人間がすべての人間のことを理解することはできません。年収2000万円の家庭の「おやつ」と、年収200万円の家庭の「おやつ」は違うのですから、「おやつ」と聞いて2つの家庭の子どもが想像する「おやつ」は異なるものなのです。それなのに人は、「遠足におやつを持ってきていいぞ」といったコミュニケーションをしてしまいがちです。なぜなら、「おやつと聞けば、大体、どんなお菓子か常識の範囲で判断できるだろ?」と、心のどこかで思っているからなんですね。この油断は、誰にでもあることだと思うんですよ。

 

「話が通じねえな」と思う時、人は相手の理解力を疑います。自分の伝える力は問題ないと自負しているんですね。では、このコミュニケーションをしたときに、あなたは相手が自分と同じ価値観を持っているとどこでどう判断したか答えられますか。たぶん、考えていないと思います。ここなんですよ。伝わらない問題の一番大切なところは。

 

他人同士のコミュニケーションは伝わらないことが大前提なんです。それが成立しているのは、どちらかが無意識に「相手のことを知ろう」と近寄っているからなんです。そういった動的なアプローチをしないで、「よく分からない」「伝わらない」と相手のことを思うのは、ただ自分の怠慢だったりするんですよね。

 

コミュニケーションのコツとしてよく語られることに、「相手の立場に立って考えてみる」があると思うのですが、これって、相手の価値観を理解しようとしているかどうかという問いかけだと思います。相手とは価値観が異なり、伝わらないことが前提だからこそ、伝わるように努力することが、人間には求められるんだろうだなぁと思う今日この頃です。

 

で、

 

先日ですね。東海に日帰り出張があったんですよ。急に冷え込んできた日で、帰りは夜の22時を回っていたんですけど、すっげー寒いの。昼間はあたたかかったので薄着で出てきちゃったもんですから、もうこちとら冷え冷えなわけで。かじかむ手でLINEで奥さんに「今、〇〇駅。これから帰る」と送りました。完全に失敗したな―と思いつつ、家に帰ると、奥さんが「おかえり。あったかいお風呂沸いてるよ」と。俺の凍えているだろうという境遇を察して、帰るタイミングに合わせてお風呂を焚いといてくれたんですね。「チンチンに沸かしておいたから、小さくなったチンチンをあっためてあげな」という優しい言葉にポロリしました。

 

お互いに知ろうとすることを重ねて、言わなくても分かる関係性を作っていきたいものですよね。