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『天空の城ラピュタ』考察。海賊ドーラ一家は善人なのか?悪人なのか?を考えてみた。

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実は気のいい連中が集まっている海賊、とずっと思っていたのですが、最近見方が変わってきました。

 

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たぶん、悪人なんですよね。

必要に迫られれば人を殺すことも厭わない、そういう人たちなんだと思います。なぜ、そう思ったかというと、物語の最初、飛行船を強襲してシータと飛行石を奪おうとするドーラ一家の動きです。かなり機敏で、手際がいいですよね。少人数での襲撃ですから、強襲の利点を活かすために短期でケリをつけるためスピード重視です。もし、ドーラ一家と同じ立場だったとして考えてみてください。関係のない人は傷つけない、殺さない、といった誓いがあったとして守れるでしょうか。たぶん、無理なんですよ。

 

ドーラ一家が使っている武器、ランチャーの類だと思われますが、弾に何を込めるかにもよりますが、後半で樹木で作られた壁をぶち抜くくらいの火力があります。それを人に向かって撃っていますからね。無力化させるために、人を傷つけること、殺すこともためらわないと考えたほうが自然です。

 

シータがスラッグ渓谷に落ちてきて、パズーが彼女を助けた翌朝。ドーラ一家の三兄弟は、炭鉱夫たちと大ゲンカを始めます。ドーラおばさんはその後、鉄道にオートモービルを突っ込ませるなど、相当無茶なことをします。コミカルに描かれていますが、目的のために手段を選ばない、海賊らしさ、ある意味での怖さが描かれているシーンだと思います。追いかけてくる炭鉱夫たちに手榴弾投げ込みますからね。

 

そんなドーラおばさんですが、ラストシーンではシータを抱きしめて、切られた髪の毛の心配をします。このギャップはなんでしょう。「小僧がいたほうが娘が言うこと聞くかもしれないね」とほくそ笑んでいた人と「髪を切られたほうがずっとつらいよ」とシータを抱きしめる人は同一人物なんですよ。何か心境の変化があったわけです。

 

その重要なシーンは、タイガーモス号でラピュタに向かう途中、見張り台でパズーとシータの会話を伝声管で盗み聞きしているところだと思われます。盗み聞きしているということは、ドーラたちはパズーとシータを信用していないわけです。しかし、盗み聞きされていることに気がついていない2人の会話は純粋そのもので、「あの人、いい人だもん」という始末。俺はそのひと言がドーラたちにとっての救いのひと言だったんじゃないかと最近思うようになりました。

 

海賊は嫌われ者なわけです。スラッグ渓谷の人たちも海賊を嫌っていました。軍隊からも嫌われていました。嫌われているから、強くならないといけないんです、海賊は。みんなから嫌われているから、仲間同士の結束が強いんです。でも、たぶん、好き好んで嫌われたいわけじゃない。人間ってそういうものじゃないですか。でも、嫌ってくる敵がいるから、態度を硬化させないといけない。そういう経験って、この記事を読んでいるみなさんにもあるんじゃないでしょうか。

 

でもね。パズーとシータはドーラたちのことをそういう目では見なかった。「いい人だもの」と思ってくれていた。たぶん、このセリフはパズーが楽観的に性格であり、父親を亡くした後もスラッグ渓谷の人たちに厳しくも優しく接してきてもらったから、人のことを好意的に受け取る傾向による勘違い、だったかもしれません。でも、虚勢を張っている者の虐げられつづけてきた海賊ドーラたちにとっては、「いい人だもの」に救われるところがあったのではないでしょうか。「いい人だもの」と言ってもらえたから、いい人になれたんだと思うようになりました。

 

人間って、気がつくとレッテルを張ってしまうものです。一度罪を犯した人間は「アイツは罪人だからな」と思ってしまったり、「罪人らしくしろ」と思ってしまったりすることは誰にでも少しはあると思います。しかし、「変わろう!」としている人間からすると、このレッテルが気力を削ぎます。何か失敗すれば「やっぱりアイツはそうだからな」と言われたり。何も失敗していなくても「何かやるんじゃないか」と一番に疑われたり。信頼されていない、ということは更生の邪魔なんですよ。

 

ドーラ一家も悪いレッテルを貼られてきた存在だと思います。だから、悪く生きていくしかなかった。でも、別の生き方・立ち振る舞い方を「いい人だもの」によって許されたことで、子どもたちのことを心配するいい大人になれたんじゃないか、と感じるのです。

 

ドーラ一家のラピュタ探索は、最終的にお宝の一部は手に入れたものの、財政的には大赤字なわけです。商売道具でもあるタイガー・モス号もなくなっちゃいましたからね。でも、エンディングでの彼らの表情には悲壮感がないですよね。それは、宝に勝るものを手に入れられたからかもしれません。

 

このように考えていくと、『天空の城ラピュタ』における海賊ドーラ一家の前半と後半のキャラクター像のギャップが埋まると思った次第です。興味がございましたら、この記事の内容を思い出して、今一度、『天空の城ラピュタ』を鑑賞してみてください。

 

  

 



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