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『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』で明らかになった、今、勇者がいるところ、という話。

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ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、いい映画だと思うんですけどね。

 

 

 

正直、ガッカリしました

個人的な感想です。『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』をボロクソに書いていた人たちのレビューにはガッカリしました。別に、映画レビューを書くなというつもりはありません。映画を観た感想を書くのも自由です。しかし、あまりにも感情的すぎる。公開初週からネタバレなんて意にも介さない。自分の怒りを、原作愛という盾を掲げて語っている寸劇の数々は、見るに堪えないものでした。

 

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』に怒りのレビューを書いた人たちの文面から「愛」でした。でもそれは「ドラゴンクエストV愛」ではなく、俺に言わせれば、ただの「自己愛」ですね。「俺の観たかったドラクエじゃない」を「ファンが納得する映画とは思えない」と言いかたを変える狡猾さを持つ、なかなかやっかいなもの。職場でたまに発生するトラブルメーカー人材がよくやっていることを、この映画レビューでも見せつけられて、俺はゲンナリでした。

 

相互理解、という言葉があります。

 

これは、異なる意見・考えを持つ人のことを理解しようと、自分から相手のほうに踏み出し、相手の言い分に耳を傾けることで成り立つスタンスのことです。一般的な社会で生きていく上で、自然と身に着く能力。自分はこう感じたけど、他の人はどうだろう。他にどういう見方ができるだろう。と、他の人の意見に耳を傾けたり、自分が勘違いをしている可能性や他の解釈の可能性を探るのが、大人のありかたです。

 

しかし、あそこには「拒絶」しかなかった。

 

拒絶とは、対話を自らやめている状態です。パワハラ上司の顔も言葉もこれ以上見たくないし聞きたくない。そういう危機に瀕した時に発動するアストロンみたいな。こういうのは別に珍しくなく、正常な人間の機能です。問題は、ただの「拒絶」ならば、「話題にしない」という選択になるところ、「対象に対して攻撃的になる」という選択になっている点です。これは、自己愛の強い人間が自分の心のよりどころを否定された時に生じる過剰な正当防衛としてよくあるパターンで、攻撃しなければ自分が保てない(と思い込んでいる)時によく起きるものです。

 

こう考えていくと、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の冷静ではないボロカスレビューの裏には、「闇(病み)」があるとも考えられないでしょうか。

 

俺は、ドラゴンクエストの『IV』~『VI』、いわゆる天空編と呼ばれているシリーズでは、闇堕ちしてもおかしくない状況に主人公(プレーヤー)が追い込まれる展開があります。それでも主人公(プレーヤー)は闇に取り込まれません。その心の強さこそが、勇者の資質(『V』は遺伝子として)なのでしょう。

 

ドラゴンクエストで遊んだ俺たちは、かつて「勇者」でした。でも、今も「勇者」でしょうか。

ブログは自分の思いのたけを語る場所です。何を書いてもいい自由があります。そのことをどうこういうつもりはありません。しかし、書いたものは自分そのものであり、読者に自分が問われる場でもあると、俺は思っています。

 

「光あるところに、また闇もある」。

 

これは、かつて大魔王ゾーマが、勇者だった頃の俺たちに放った言葉です。あの言葉を聞いた時には何も感じませんでしたが、時限式の呪いのように、大人になった今、心を締めつけます。なぜなら、大人になった俺は、日々、心の中で光の自分と闇の自分を意識し、葛藤しているからです。光が負けることもあります。闇が勝って「しょうがないよな。現実ってこういうものだから…」と言い訳している自分もいます。それでも俺は、光の白星で終わる人間でありたいです。

 

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はメタ的な展開を含んだ作品です。でもこれは、ドラゴンクエストという作品がプレーヤー=主人公であり、現実世界のプレーヤーが物語に介入することで成立するものである、という点を考えると、なかなか分かっている構成だと個人的に思っています。俺たちは、主人公を演じることで物語に介入しているのであって、アニメのように第三者として物語を観るのはドラゴンクエストではありません。そして、映画である『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、俺たちの現実と地続きの作品であり、自分自身の心の中の光と闇が問われる作品でもあるといったら大げさでしょうか。

 

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』のネットでのレビューは賛否両論。まさに、光と闇の拮抗した戦いがくり広げられています。ここでいう光と闇とは、光=肯定派と闇=否定派という意味ではなく、レビューで見られる発信者の姿勢が、光か、闇か、ということです。

 

リアル社会にまで侵食を伸ばした光と闇の戦い。匿名でなんでも無責任に発信できる時代だからこそ、最後は自分の心の属性が問われてくる。そんな面白さを感じている、闇の俺がある今日この頃です。

 

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