ほぼ日刊レトロゲームレイダース

おすすめエンタメ情報&笑い話を発信





ノストラダムスの大予言に人生を狂わされた男の話。

f:id:retrogameraiders:20190525075409j:plain

ノストラダムスの大予言に、人生を狂わされた友人がいます。1973年に祥伝社から発行された五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』を読んでしまった小学5年生のあの夏から、彼の人生は大きく歯車を狂わせていくのでした。まあ、その本を見つけて彼に教えたのは俺なんですけれども。まさか、その本の紹介が、30年以上もつづく物語に発展しようとは、あの頃の俺は思いもしなかったのです。

 

 

 

人は何のために生きているのだろうか

40歳をすぎて、自分の人生について、いろいろ考える機会が増えてきました。「自分は何のために生きているのだろうか」。考えない人もいるでしょう。もっと早くから考えている人もいるのでしょう。私の友人Fは、小学生の時から人生について考えている人間だったのだと思います。彼は、埼玉県の田舎の政治家の息子でした。「お前は私の跡を継いで、立派な人間にならなければならない」、そんな風に小さい頃から言われ続け、行きたくもない塾に通わされ、聞きたくもない公演に連れていかれていた子供でした。

 

俺とFくんは、家が近所だったこともあり、よく遊ぶ仲でした。俺は新しい面白いものを見つけてきてはみんなに教えるインフルエンサーみたいな子ども。その日、俺は駅の向こうにある本屋で1冊の面白い本を見つけました。それが、『ノストラダムスの大予言』です。ノストラダムスの大予言については、漫画『ドラえもん』を読んで知っていました。Fくんは俺にコロコロコミックを読ませてくれる友達だったので、「ドラえもんに出てきたノストラダムスの大予言の本が駅の向こうの本屋にあったよ」と軽い気持ちで教えたのです。Fくんは最初「ふーん」くらいの反応で、俺はこの話題は不発に終わったと思っていました。

 

 

F、熱心なノストラダムス信者へ

翌日、児童館の図書室で、『ノストラダムスの大予言』の新刊を読んでいるFを見つけて、俺は驚きました。「なんだよ、買ってんじゃん」。ところが、本を読むFの顔は真剣そのものです。Fは俺のほうを向いて言うのでした。「未来は決して明るくない。このままでは大変なことになるみたいだ」。「なっ、なんだってー(俺)」。今にして思うと、1980年代後半にこの小学5年生の友人は、21世紀の現在の日本の状況を言い当てていたのかもしれません。だとすると恐ろしいことです。

 

Fくんは、『ノストラダムスの大予言』に書かれていた、これから未来で起こるさまざまな戦争や天変地異のことを、俺に説きました。そして断言します。「このままでは、1999年7月、人類は滅亡する」と。「なっ、なんだってー(俺)」。しかし、Fくんは言うのです。「人類には救済の道が残されている」と。バラバラだった世界を1つにまとめ上げる人類の指導者が、世界の東の果て、この日本にすでに生まれていると。彼を見つけ出し、彼が覚醒すれば、人類滅亡は回避できるのだと。Fくんはつづけます。「僕は、この指導者を探したい」と。その目はランランと輝いていました。

 

 

今にして思うと

Fくんは、親からのプレッシャーに相当苦しんでいたのだと思います。だから、反抗心みたいなものがあって、親が敷いたレールを進みたくはなかったのではないでしょうか。でも一方で、親を尊敬しているところもあって。「立派な人間にならなくてはダメだ」という思いもあって。そんなせめぎ合いの末、ノストラダムスの大予言というオカルトに逃避することで、自我やプライドを保とうとしていたのかもしれません。

 

 

加速するノストラダムス

中学生になりました。俺が、道端や土手に捨ててあるエロ本や同級生の女の子の胸のふくらみに興味がいっている頃、Fくんはノストラダムスの予言について、さらなる研究を進めていました。そして、忘れもしないあの日。そう、Fくん14歳の誕生日。学校からの帰り道、彼は俺にあるヒミツを打ち明けるのでした。

 

「実は、僕が予言の指導者だった…」

 

「なっ、なんだってー(俺)」。Fくんが言うには、『ノストラダムスの大予言』を読めば読むほど、人類を導く指導者は「自分なんじゃないか」?と思えてきたという。そして昨夜、奇妙な夢を見たのだとか。知らない外国人の老人が夢に現れて、「目覚めよ」と、ひたすら自分に言ってくるのだとか。朝起きて、「ひょっとして、指導者とは僕のことなのか?」と自分に問いかけてみると、驚くくらい、しっくりきたのだという。

 

なんということでしょう。しばらく相手にしていなかった間に、Fくんがここまでこじらせていたとは。しかし彼は、「これから世界中の人たちを導かないといけない。いろいろなことをもっと勉強しないと。英語の勉強をちゃんとしないと。世界中の人たちを導くのに、通訳を雇わないといけないなんておかしいからね」と変にポジティブだったので、俺は一旦、様子を見ることにしました。

 

もっと早くに我を取り戻すかと思ったのですが、「信じる」ことに振り切った人間というのは時に奇跡を起こすもの。バカの代名詞だったFくんですが、この誕生日を境にメキメキと学力が上がり始め、とある進学校へ推薦入学を決めてしまうのでした。この黄金経験が、彼の中で「やっぱり自分は人類の指導者なんだ」という確信をより高めてしまうことになります。

 

 

空白の高校時代

俺はFくんとは別の高校に進みました。とある事情があって、別の県にある遠方の高校に進学した俺は、ほとんど地元に帰ることもなかったので、しばらくFくんと疎遠になってしまいます。後から聞いた話によると、Fくんは高校で友達ができなかったようです。『ノストラダムスの大予言』のことは隠していたようですが、醸し出している雰囲気が、やっぱりフツウじゃなかったので。そして、彼も変にプライドが高くなってしまい、「バカといっしょにするな」みたいな空気をまとって、周囲とカベを作ってしまったらしいですね。

 

しかし、高校でも彼は奇跡を起こし、某都内の大学への推薦入学を果たします。これは、学校としては歴史的な快挙だったらしく、在校生のために彼は体育館で講演を行なうことになったそうです。「時は来た!」と、1990年2月新日本プロレス東京ドーム大会のメインイベント、アントニオ猪木&坂口政二VS橋本真也蝶野正洋のタッグマッチの時の橋本真也みたいなテンションになったFくんは、この大舞台でノストラダムスの大予言と、人類の滅亡と、東方の国に生まれる指導者の話(自分がそうだということは匂わせて)を60分にわたって行なったそうです。空前の大爆笑に包まれた、学校始まって以来の講演事故。しかし、なんとか推薦ははく奪されることなく、厳重注意だけですんだとか。偉人というものは、伝説を作っていくものですね。その講演の場にいなかったこと、その公園の動画や音声が現存していないことが悔やまれます。

 

 

再会した彼はハンニバル・レクター

Fくんとはしばらく疎遠な状態が続いていたのですが、次に再会したのは、大学2年生の夏だったと記憶しています。

彼は、右腕と左腕の両方を骨折したかのように、包帯で肩から固定されていました。片腕だけなら見たことがあると思いますが、両方です。映画『羊たちの沈黙』に出てくる、拘束具をつけられたハンニバル・レクター博士みたいな姿でした。「どうしたの?」と聞くと、大学の体育の授業でさかあがりをすることになり、そのときに右手を脱臼。その後、右手をかばいながら生活していたら、左手も脱臼してしまったそうです。「両手が使えなくて試験もすべて受けられないから、留年決定さ」と怒る彼。不謹慎だけど思わず笑ってしまった俺。しかし、バチが当たったのでしょう。俺も後に留年することになります。

 

Fくんは大学でも友人ができなかったようです。孤立によって、孤独を味わい続けた彼は、自分の殻に閉じこもり、それでも発信したものがあったので、インターネットでブログを書きつつ、小説家になることを目指していくことになります。大学は、1年の留年だけで卒業することができたようです。

 

そして、1999年の7月。それは当たり前のようにやってきて、人類を滅ぼすことなく、アンゴルモアの大王がやってくることもなく、8月を連れてきて、当たり前のようにどこかに行ってしまいました。

 

そう、終わったのです。『ノストラダムスの大予言』に翻弄されてきた彼の物語は、1999年7月になにもおきなかったことで、終わるはずでした。しかし、いままで失ってきたものが大きいほど、簡単には終われないということが人生にはあるのですね。パチンコ屋に行くと、同じような十字架を背負っている人が大勢います。Fくんは就職をせずに、小説家になるために、日々小説を書き、さまざまな出版社に持ち込んだり、賞に送ったりするのでした。働きません。勝つまでは。家から外にも出ません。勝つまでは。いわゆる引きこもりです。何かを成し遂げないと引き返せない。そんな心境に追い込まれていたのかもしれません。

 

で、「お前はずっと何していたの?」と思われる方もいるでしょう。俺も一応常識人ですし、友人の暴走を何度も止めようとしました。説得をしたことも、親身になって相談に乗ったこともあります。しかし、彼の暴走は止められませんでした。そう、止められなかったのです、正攻法では。

 

そして、さらに10年以上の歳月が流れます。

 

そしてエピローグ

「変わったね…」。とある用事があって、ひさしぶりにFくんと再会したのは、今から3年くらい前のことでしょうか。あまりにも変わり果てた彼に、俺は思わず、そう声をかけるしかなかったのです。

 

「そうでしょうか?自分にはよくわかりません!」。Fくんは変わってしまっていたのです。典型的なデブ系オタクで、空気が読めず、活舌が悪く、敬語をしゃべれなかったFくんでしたが、今では、ガチガチのムキムキになっていて、やや大きい声で、敬語しかしゃべれなくなっていました。

なぜ、こんなことになったのか。30歳を過ぎても定職に就かない彼に、業を煮やした彼の両親は、半ば強制的に、社員寮がついている警備会社に彼を就職させたのでした。思うに、壮絶な「矯正」があったと思われます。その結果、彼は敬語しかしゃべれなくなったガチムキの警備員として生まれ変わったのです。

 

「Fくん、俺と君の仲なんだから。そのしゃべりかたはやめてよ」。「いや、自分にとっては、これが自然でありますから!」。…マジか。しかし、元気そうで何よりでした。

 

かつては、政治家の息子として、将来を約束されていたFくん。あの日、あのタイミングで、『ノストラダムスの大予言』と出会わなければ、今とは異なる未来を歩んでいたかもしれません。どちらのルートが幸せなのかは分かりません。でも、元気でやっているようで、本当に良かったと思いました。

ノストラダムスの大予言』にハマっていた時の自分のことを、今では「恥ずかしい黒歴史ですね!」と笑いながら語るFくん。しかし、Fくんは小説家を目指して、いろいろ書いていた日々は、無駄じゃなかったと語ります。

 

「これからの時代は、個人がアウトプットしていく時代だと思うんです!それによって、本業以外の副収入につながると思いますし!ルールに縛られない自由な生き方を考えています!そういえば、今、尊敬している人がいるんです!」。

 

そう言うと、彼は1冊の本を俺に見せてくれました。

 

 

「まだ続くんかーい」とこの時(3年前くらい)は思いましたが、彼は今、どうなっているかは把握していません。おわり。