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あの日見た父の表情の正体を、俺はまだ、うまく言葉にできない話。

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今週のお題「おとうさん」 

「父の日」は「母の日」よりもずっと存在感が薄い。それはまるで、家庭におけるお母さんとお父さんの存在パワーバランスがそのまま影響しているかのようだ。少年時代の俺の家において、母の日は祝われる日、父の日は忘れられる日、だった。

 

 

 

あの日、父は何を考えていたのだろう

俺はフツウの家庭で育った、と思っていた。しかし、大人になってから子どもが思い描くフツウではなかったことが判明する。父は一度結婚に失敗していて。母は妻子ある人としていた不倫関係が崩壊し、心配した親戚によってセッティングされたお見合いで父と結婚していた。よくある話である。大人になって、なんだフツウの家庭だったんだと再理解した。

 

母は才女である。高校は地域一番の進学校に通い、そこで学年一位の成績保持者だった。「家にお金があれば大学に行けた」は母の口ぐせだ。しかし、戦争で夫を失い、親戚のいない土地で、女手1つで5人兄弟を育てなければならなかった母の家に、金銭的な余裕はなかった。だから母は学校から惜しまれつつも、卒業後、手に職をつけるために服飾の道に進む。

 

父は努力の人だ。某有名大学の法学部を卒業しているのだが、学費はすべて、在学中に自分で稼いで支払っていたという。それで成績も上位だったのだからすごい。しかし、容量のいいタイプの人ではなく、卒業後はいくつかの仕事を転々としながら、最終的に落ち着いた会社もそれなりの会社で、うだつの上がらない(失礼な言いかたになるが)感じだったようだ。

 

母が父を愛していたかというと、それはよく分からない。しかし、家庭というものは、愛し合っている者同士が作るものとは限らないし、愛が途中で醒めることもあるし、愛のカタチは千差万別である。当人以外の人間がどうこういう話ではないだろう。しかし1つだけ言えるのは、「母は父を尊敬している」と俺は思えなかったことだ。

 

前述した通り、母は才女であり、なんでもソツなくこなすタイプ。父は努力の人ではあるが、本番に弱く、ポテンシャルを上手くアピールできないタイプだ。そんな2人が愛し合ったわけでもなく結婚した。相手のことをどう思い、どう割り切っていたかは、ある程度想像できる話だ。そして母は自分が優秀であると自覚しているからこそ、他者を低く見ているところがあり、それゆえに自分の思考が表情や行動に出ていることを他者は気が付かないだろうと思っているフシがある。ゆえに、俺は物心ついた時にはそんな母の本心を読めていた。父も気が付いていたと思う。

 

そんなわけで、俺の家では「母の日」は存在していたが「父の日」はなかった。こう書くと悲惨に思えるかもしれないが、昭和の家庭では一般的だったんじゃないだろうか。とにかく「父の日」はなかった。

 

そういうものだと思っていた俺は、毎年、「母の日」に母の似顔絵を描いたり、お小遣いでプレゼントを買ったりしていた。「父の日」には何もしなかった。そういうものだとずっと思っていたのだ。

 

父は、何も言わなかった。

 

父は俺を愛してくれていたと思う。俺が欲しいとねだった、ファミコンも、ディスクシステムも、ドラゴンクエストIIIも、必ず買ってきてくれた。でも、愛情表現が乏しい人だったので、俺には伝わっていなかった。俺は自分に関心がないのかとさえ思っていたほど。そうではなく、不器用なだけだったことは、後年になって分かってくる。

 

大学を卒業して、就職して、俺はとある販売業の仕事をしていた。そのときに、パートのおばちゃんにこんなことを言われた。「初任給は、お父さんに何か豪華なものを買ってあげなさい。すっごく喜ぶから!(笑)」。お母さんにじゃなくて?と聞き返すと、「お父さんに、よ!」と念を押された。

 

その言葉がアタマに引っかかっていたものの、新卒で入社した会社は忙しく、休日は1日中寝ているような状態だったため、また、小売業だったのでなかなか休みの日が父と合わなかったこともあり、しばらくそのままになっていたのだが、その年の6月、父の日に休みが合ったので、父を誘ってみた。

 

「父の日だし、何か美味しいものでも食べに行かない?
 初任給で、俺がおごるからさ」

 

父は、これまで見たことがない表情をした。

 

俺が運転するクルマに乗って、家からちょっと離れたところにある海鮮料理店に行った。父はしきりに「他人の金で食べる飯は美味い」と言っていて、俺は「しょうがねえ人だな」と思っていたが、今思うとあれはテレ隠しだったのだろう。

 

これがキッカケとなり、父とは月1回くらいのペースで、俺の奢りでご飯を食べに行くことになった。子どもの頃はほとんど話さなかったけど、大人になってから、いろいろな話をする機会を得た。それは、父が膵臓ガンで亡くなるまでつづいた。そういう関係になれたことは本当に良かったと思っている。

 

あの日、父は何を思ったのだろうか。

 

大人になった俺は、ある程度想像がつくといえばつくのだが、父が何十年と背負ってきたものを理解せずに、言葉にはできないと思う。それは俺の浅い理解での答えでしかないからだ。その本当の答えが分かった時、本当の意味で父に「ありがとう」と言える。そんな気がする。

 

「父の日」は、感謝を伝える日といわれている。しかし、その感謝のためにも、お父さんを知る日と考えてみるのもいいと思います。