ほぼ日刊レトロゲームレイダース

おすすめエンタメ情報&笑い話を発信





加害者が被害者ぶるのがたまらなくやるせないって話。

f:id:retrogameraiders:20190217160445j:plain

「私って、こんなに可哀想なの!」と、自分の不幸を周囲に吹聴する人種がいます。しかし、よくよく聞いてみると、「お前が事の発端であり、加害者じゃん!」というオチなのですが、本人は自分が被害者だと信じて疑っていない。この手の人間には関わりたくないのですが、自分の母親だとそうもいきません。今回はそんな俺の母についての話です。

 

 

 

俺が子どもの頃のお母さん

「お母さんはなんて不幸な人なんだろう」「だから僕は味方でいてあげなくちゃ」。子どもの頃の俺はそう思っていました。

 

母はとても能力の高い人です。小学校・中学校と学年トップの成績を誇り、地元で一番の進学校に入学します。そこでもトップクラスの成績になるのですが、大学には行きませんでした。いや、家が貧しくて行けなかったのです。「あのとき、大学に行っていれば、私はもっと上に行っていた」。それが母親の口ぐせでした。

 

そんな母は人嫌いです。友達のお母さんたちはよく一緒に買い物に出かけたり、家族同士の交流がありましたが、ウチにはそういうものが一切ありませんでした。理由を聞くと母はこう言いました。「レベルの低い人とは合わないのよ」。母曰く。人間には知識レベルの段階があって、自分のレベルに合った人としか話が合わない、話に興味が持てない。埼玉の片田舎のこの町には、私のレベルに合う人はない。レベルを下げてまで会話をしたいとは思わない、のだとか。ボクのお母さん、すごーい。

 

母には唯一友人といえる人がいて。その人はキリスト教信者なのですが、その人とは話が合うようでした。その理由を母はこう言いました。「旦那さんが東大出だから」。町のコミュニティから浮いている高能力者。そんな孤高の存在である母をカッコイイとさえ思っていました。そう、子どもの頃は。

 

母は、本当に母がいうような存在なのか?

そんな母親による教育(?)もあって、俺はそこそこいい高校に行ったりするのですが。この頃になると俺は、母が自分に言っていたことは本当にそうなのか「怪しい」と思うようになっていました。なぜ、そう思うようになっていったのか。それは、いろいろな人と出会う機会を得たからです。

 

すごく優秀な人だったり。なぜか人が周りに集まる人だったり。勉強しないのに勉強できる人だったり。そういう人たちと会って、いろいろ話を聞いていくうちに、「おや?」、と。ウチの母親は本当にすごい人間なのか、と。なんか違うんじゃないか、と。気が付くようになっていきました。

 

ウチの母親は、こういう人間だった

「自己評価が高く、承認欲求が強く、自己憐憫がひどく、冷静な自己分析ができないトラブルメーカーな人」。それが大人になった俺の母の評価です。

 

母は自己評価がとても高いのです。そのため、会った人には必ずマウンティングを行ない、「賢いか・賢くないか」の判別を行ないます。賢いと判断した人には気にいられようと媚び、賢くない人には憐憫の情から優しく振る舞うのですが、その思惑が透けて見えるので、賢い人にも賢くない人にもキョリを置かれます。

 

母は基本的に人付き合いが嫌いです。そのため孤独を愛するのですが、承認欲求が強いため、自分を認めてくれる存在、もてはやしてくれる存在がいなければ、自分を保てません。「孤独が好きなのにフォロワーが必要」という矛盾があります。とはいえ、まともな感覚の人は母とキョリを置くので、周囲のコミュニティから外されている人であまり賢くない人(母が言うところ)と組むことになります。

 

これで一旦、安定します。

 

しかし、もともと自己評価が高い人間なので、己の置かれている状況に常に不満があります。そのため、学校関連の実行委員会といった集まりがあった際、自分が賢くないと評価している人にばかりスポットが当たっているのを見て快く思わないのでしょう。何かしらのトラブルを起こします。ほぼ100%トラブルを起こすのです。

 

なぜ今、母の話をするのか

それは、母が老人ホームでトラブルを起こしたからです。絶賛炎上中のほかほか案件です。「母」対「大勢の入居者」という構図らしく、母曰く「施設の人間は、いろいろ鋭い自分のことを前から快く思っていないから援護もしてくれない」とのこと。「大金払ってまでこんな施設にいる意味がない。辞めてやる」と息巻いており、俺に「新しい施設を探しておいてくれ」と言うわけです。やれやれ。

 

んで、前述のキリスト教信者の友人との電話での会話を聞いたのですが、まあ、これがヒドイ。本当にこのキリスト教信者の友人は、母の訴えをすべて肯定するのです。そして母が置かれている不遇を神からの試練と言い、神への教会への奉仕の心が足りないからこういうことになっているんじゃないかと言っています。それで救われる人もいるので否定派しませんが、このフォロワーの存在によって、母が無間地獄に落とされているようにも見えるわけです。

 

肉親である俺は、母のために時には厳しいことを言わなければならないと思っています。しかし、母は厳しいことを言われたくないのです。母は自分を肯定してもらいたいのです。そのために洗礼を受け、現在、教会というコミュニティに属しているのですが。そこでもトラブルを起こしていることを俺は知っています。

 

母親って厄介だ

母が俺のことを愛情を持って育ててくれたことは事実です。人付き合いが苦手な母が、幼い俺が孤立しないようにと無理して公園デビューをしたり、人に友だちを招いて誕生日会をしてくれたり、それは母の愛情があったからこその行為だと思います。感謝しています、本当に。

 

それと同時に、母が俺の奥さんのことを快く思っていないことも知っています。くも膜下出血のときに「アタマの悪い母を持つと子どもはバカにしか育たない。あの子(俺の息子のこと)の笑顔は白痴の笑顔だ」とウチの奥さんの目の前で言ったことも忘れていません。

 

母は自分のことを永遠に「被害者」と思い込んでいますが、母を貶めているのは母自身であり、むしろ母は先制攻撃を加えている「加害者」なのです。

 

俺は最終的には奥さんと息子を守るつもりなので、どうにもならない時が来たら「母親を棄てる」というドライな判断をするつもりです。しかし、できればそんな事態には発展してほしくない。心からそう思っています。しかし、老人はタガが外れて、どんどん傍若無人になっていくもの。

 

石油と同じように、愛情も枯渇する資源ということを意識せざるを得ない世界で、俺は今日も生きています。