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『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』に湧き起こる怒りの正体は、『天気の子』の「ほっといてくれ」かもしれない話。

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話題の映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を観てきました。9歳の息子と観たのですが、息子の感想は「お父さん、ドラクエ5で遊んでみたい」でした。個人的には21世紀版『ネバーエンディング・ストーリー』だと思っています。

 

 

 

賛否両論ある作品ですが…

俺としては、「高評価をつけたい作品!」という感想です。本作は、『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』を原案としている映画ですが、そもそもゲーム(特にRPG)のシナリオはゲームプレイを進めるためのものであり、自分がゲームに介入して体験することで補完されるもの。ゲームのストーリーをそのまま映像化するなんて、ぶっちゃけ、意味不明だと思っていたので、本作のサブタイトルから示す通り、「かつて『ドラゴンクエストV』を遊んだ俺たち」が主人公だったという映画の構造は、むしろ、「RPGの主人公はプレーヤーだって、よく分かってんじゃん!」と思っています。

 

ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』がそうだったように。コンシューマゲームの深刻なゲーム離れに対して、かつてドラゴンクエストで遊んでいた人たちに、もう一度、「やっぱりドラゴンクエストっていいよな!」と感じてもらうコンテンツとして作られたと推測されます。そのため、「原作の改悪だ!」と叫んでいる人もいますが、本作はあくまで「ドラゴンクエストユーザーの肯定」です。ポジティブなメッセージとなっています。

 

ラストのオチについていろいろ言われていますが、古い作品で例えると、『ネバーエンディング・ストーリー』と同じなんですよ。

 

屋根裏部屋でずっと読んでいた草原の勇者アトレイユの物語。ところが、物語の終盤になって、いきなり本が語りかけてくるわけです。この物語をずっと追ってきている、もう1人の主人公の力を借りろ、と。それって、物語をずっと読んでいた、いじめられっ子のバスチアンのことなんですね。本作も構造としてはまさにそれで。ずっと『ドラゴンクエストV』の物語を追っていたと思っていたら、最後に突き付けられるわけです。これは、お前の物語だと。

 

原作では、ラスボスは大魔王ミルドラースなのですが、それは主人公がゲーム内のグランバニアの王子だった場合の話で。本作の主人公は、「かつてドラゴンクエストVを遊んだプレーヤー」なわけですから、戦うべきもの・対峙すべきものは「今はゲームをしていない事実」ということになるのでしょう。その1人ひとりの事情を表現することができないので、本作では、浸っていた世界の崩壊という危機をラストに持ってきて、その破壊者の正体をVRマシンにおけるコンピュータウイルスと位置付けているのだと思います。

 

ここの演出が上手くないのは事実です。本作のラストバトルは、本当はイデオロギーの対立であり、ドラゴンクエストプレーヤーを全肯定し、かつて遊んできた時間・経験は無駄じゃなかったというのであれば、無駄じゃなかったことをチカラにして、ラスボスを倒す演出が必要だったと思います。本作のラストに出てくる<ロトの剣>は、ドラゴンクエストプレーヤーたちが『ドラゴンクエスト』から学んできた心の強さの象徴であるべきなんです。その心の強さとは何なのか。その正体を、『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』では、こういう言葉で表現してくれています。「勇者とは、決して諦めない人のこと」だと。

 

ところがですね。その重要な部分を、ロトの剣アンチウイルスソフトの駆除プログラム、みたいな描かれ方をしてしまっているので、本当は結構アツイ話のはずなのに、陳腐になってしまっているんですね。

 

で、

 

ラストバトルが陳腐に見えてしまうことで、思いがけない悪影響が生じてしまいます。本来伝えるべきメッセージに対してどうでもいい、とりあえず付けておいたラスボスのセリフが、まるで作品のメインテーマであるかのように観客の印象に残ってしまい、ゲームに触れてきていないジジイの説教みたいにクローズアップされてしまったんですね。

 

で、

 

何が起きたかというと、全国で<拒否反応>が起きた、と。感情として「怒り」を持ったネガティブレビューがたくさん生まれました。はてなブログでもいろいろなエントリーが取り上げられていましたが、正直、俺はどれも文章が長く、各論について語ってはいるものの、執筆者のよく分からん怒りだけが際立っていて、内容に納得性がないというか、大きなクンちゃんのイヤイヤ期みたいなエントリーが多いという印象でした。

 

長々と書いてきましたが、

 

タイトルに書いた通り、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』のネガティブレビューにある怒りの正体は、『天気の子』の「ほっといてくれ」なのかなーと思い至りました。俺たちの大好きなものに、もうヘンなことしないでくれよ。関わらないでくれよ。うるせえんだよ。俺たちは俺たちで上手くやっているんだからさ…みたいな。好きな分野に土足で入ってきた(と思い込んでいる)異物に対して、ヒステリックな拒絶を起こしているだけというか。

 

たぶん、誤解なんですよ。

 

でも、作品は生み出されてしまった以上、制作者は批判に受けるしかないわけで。意図した印象になっていないのは、やはり作り手の責任なのです。山田孝之さんがこの作品についてコメントしないのもそういうことなのでしょう。

 

ただ、この記事に書いた『ネバーエンディング・ストーリー』的な見方をしたら、本作は悪くないと思います。

 

そして個人的には、有村架純さんのビアンカがすごく良かったです。とても良かった。2歳年上のお姉さんの、本心を隠してリュカと接しているくだりは最高です。うひひ。久美沙織先生の小説版からずっと納得がいっていなかった俺のビアンカ像は、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』で終着点を迎えた気がします。有村架純さんのビアンカのためだけにブルーレイも買いますよ。そして、久美沙織先生が主張する「クレジットに私の名前を入れろ」は、正直ちょっと難しいと思いました。