ほぼ日刊レトロゲームレイダース

レトロゲームについて、ほっこり&もっこりする思い出話と雑談多め



【雑談】ちょっと足りないくらいが幸せ、という人生の法則。

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私はレトロゲーマーではありますが、コンプリートを目指すコレクターではありません。昔はそうだったのですが、あるとき、とても虚しくなったのです。

 

コレクションが増えても心が満たされない。むしろ、渇望していく。その理由は何かを考えてある答えに行きついたときに、私にとってゲームソフトのコンプリートというものが、人生の無駄になったというお話です。

 

 

 

 私は、レトロゲームブログをライブドアブログのほうで運営しています。作品紹介がメインなのですが、「なぜ、この作品が面白いのか?」まで言及し、おっさんもお子様もおねーちゃんも楽しめる内容です。興味がある方は覗いてみてください。

 

 最近、『マネ会』のほうで、趣味とお金と時間の使いかたについて記事を書かせていただいたのですが、これがビックリするくらいアタマが悪い記事なので恐縮なのですが、この打ち合わせの際に、「レトロゲーマーなのにコレクションが少ない」という話になりました。

 

記事のほうでは割愛していますが、私はたとえばファミコンソフトをすべて集めるといったコンプリートを放棄しています。

 

理由は、1つひとつの作品を愛せなくなるからです。

 

実は私も、一時期コンプリートを目指していたことがありました。あと5作品ですべて揃う。レア作品の○○がヤフオクに出ていた。そういうことに一喜一憂していました。でもある時、虚しくなったのです。

 

それは、積まれたゲームを見ても、ちっともワクワクしていない自分に気がついたからでした。

 

なんだろう、この感じ。昔は1つのゲームを手に入れただけで、あんなにテンションが上がったのに。そのゲームが目の前にこんなにあるのに。なぜ、ぜんぜん心が踊らないのだろう…。

 

それは、プレイするためにゲームを買っていないから。買うことや集めることが目的となっていたため、手に入れたことでゲームは自分の中ですでに役割を終えているのだと思いました。

 

いろんな店を回って、掘り出し物の作品を見つけて、「これは保護しておかなければ!」とほくほくしていた自分。しかし、何のために保護していたのか。そのレトロゲームの価値が分かっている自分が、価値が分かっていない人の手にわたって粗末に扱われないように、とでも思っていたのか。その作品が自宅で積まれている。自分は本当に価値が分かっているのか。情報としてその作品が面白いということを知っているだけで、実はその作品のことを何も分かっていないのではないか。

 

自分は本当にレトロゲームが好きなのか。「レトロゲームが趣味です、面白さを伝えたいんです」という大義名分を掲げているだけで、ただレトロゲームを集めている自分が好きなだけではないのか。

 

自分がやりたいことは何なのか。

 

マネ会の記事のほうにも書いた、レトロゲームのコレクションを取るか、当時付き合っていた彼女を取るかの選択に迫られたとき。このようなことを真剣に考えに考えて出した結論が、

 

欲しいと思ったモノはなんとしても手に入れて遊びつくす

欲しくないモノには手をつけない

 

…というものでした。

 

すべてを手に入れても、人間って満たされないもの。螺旋の遺伝子がそういう性質なんです。幸せというのは、ゴールに行きつくまでのプロセスにこそあるもので、与えられるものではなく、自分で見つけるものだと思います。

 

まだ進むべき道があるという「ちょっと満たされていないくらい」のほうが健全な精神を保てるもので、すべて満たされると「次の道を探さなければならない」という渇望が生まれて人間は不幸になるという話を聞いたことがあります。

 

私のレトロゲーム探求の旅は、「作品との一期一会を大切にする未完の旅」というスタンスが自分に一番しっくりくると思ったという話です。

 

コレクターの人を批判する目的ではありません。そういう楽しみかたもあるでしょう。ただ、私はコンプリートでは作品を楽しめない&愛せない体質だった、というだけの話でした。