ほぼ日刊レトロゲームレイダース

レトロゲームについて、ほっこり&もっこりする思い出話と雑談多め



母親がキリスト教の教会に50万円寄付する理由が女子高生ノリすぎてゲンナリしている話。

f:id:retrogameraiders:20180812100042g:plain

こんにちは、レトロゲームレイダースです。
今回の記事は、キリスト教会についてふれているのですが、宗教的な信仰を非難する目的ではなく、変わってしまった母親に対する息子の嘆きというかボヤキというかそういう愚痴みたいなものです。つまらなければ読み飛ばしてください。

 

 

 

 

「教会に50万円寄付することにしたわ」

母からそんな電話を受けて、俺はステーンとひっくり返りました。

 

ええと、どこから説明をするべきか。まず、ウチはそんなに裕福な家ではない。50万円は大金である。そして母は、足を悪くしていて一人暮らしができなくなった1~2年前から介護付き有料老人ホームに入っている。ひと月の入居料は20万円くらい。費用は年金で賄えないのでマイナス面を貯金を切り崩している。母は統合失調症持ちのため、一時期、同居を試みたが、「隣の家が盗聴している」「隣の家の人が親切に教えてくれた」といったもろもろのことで俺の奥さんを非難しはじめたので、早い段階で同居は不可能と判断した。そんなわけで、今後何年生きるか分からない状態なので余計な出費を抑えるべきなのだが、ドーンと50万円を寄付するというのだ。

 

説明がまだだったが、母はキリスト教信者だ。入信したのは1年くらい前だ。それまで友人のキリスト教信者の方への付き合いで、少しそういう会合に参加したり、小学生の俺に奉仕のイベントに参加させたりと、一定のキョリを守って付き合いがあったのだが、この1~2年で一気に信者化した。それまでは「確実なご利益がないのに、ああいうものにすがって生きるのは哀れだ」とまで言っていたのだが、ものの見事に考えかたが逆転した。

 

別に俺は、母親がどんな宗教に入信しようと構わない。そこは自立した大人同士。好きなようにやればいい。相手に迷惑をかけなければいいと思っている。

 

そんな母は今通っている教会に相当熱を入れている。そもそも実家からクルマで1時間(俺の家からも同じくらい離れている)もかかるその老人ホームに入ったのも、件の協会が近いからだ。そのせいで俺たちは母と面会する際に、片道1時間、往復2時間かけるはめに陥っている。ちなみに、実家の近くにはもっと安い同様の施設があったのだが。まあ、そこは本人の意志なのでいい。

 

そもそも入信するキッカケになったのは、母がくも膜下出血で倒れたことだ。頭が痛いと嘆く母を俺が諭して、すぐにMRIを受けさせてくも膜下出血が発覚。早期入院させたことで、特に障害が残ることなく退院することができた。この時はさすがの俺もいよいよ来たかと思い、大宮の氷川神社に1万円お賽銭を出して回復を祈った。俺の奥さんも足しげく病院に通い、嘆く母を励ました。別に俺らのおかげで母は回復したと言いたいわけじゃない。しかし、先に出てきた母の古くからの友人のキリスト教信者が母の退院間際に見舞いに来て、母にこう言ったのだ。

 

「何の障害も残らず退院できそうでよかったわね。幸運なことだと思うわ。どうして幸運なことが起きたと思う?私が教会の人たちに頼んで祈ったの。100名以上の人たちがあなたの回復を祈ったから起きた奇跡なのよ」

 

別にその人がどう思おうと勝手だが、母はその言葉に信じてしまった。「ストンと腹落ちした」のだという。そこから母がキリスト教に傾倒していくのは早かった。

 

ただ、母は統合失調症持ちである。30代の頃に発症し、その当時はまだ病名をはっきりしなかったため、うつ病のくくりに入れられ、結構強めのクスリを飲まされ続け、もうスリなしでは普通の生活は送れない。孤独が一番症状を悪化させるので、何かしらのコミュニティに入ることはいいことだと俺は考えたのだ。事実、キリスト教に入信してから母の統合失調症は安定していた。

 

話が寄付の話に戻るのだが、

 

そんな母が通っている教会は、このたび、増改築をするため、信者から寄付を募ることになった。とはいえ、母は年金生活者である。以前に一度、母から俺に相談があった。「いくら寄付すべきか?」。俺はこう答えた。そういう寄付はできる範囲の金額でやるべきではないか。年金生活者であり、貯金を切り崩して生活している立場ではあまり大きな金額は払えない。その旨を神父さまに話してみて、その上で出せる金額を出せばいいのではないかと。その時は「出すとしても10万円」ということで話は終わった。

 

母はその後神父さまにその旨を話したそう。すると信者全員が集まる会合で母の話が取り上げられ、「寄付は善意によるものだから、できる範囲の金額で構わない。他の方たちも生活を無理してまで寄付しなくていい」という話になった。めでたしめでたしである。

 

ところが、それで終わらなかった。

 

母の古くからの友人のキリスト教信者が「あたし、50万円寄付する」と言い出したのだ。なぜかというと、その方は娘さんや家庭に問題を抱えており、その解決のために神の助けが必要なのだという。神は人を試されている。自分に財を捨ててまで神を信じるかどうかが試されている。だから無理してでも50万円寄付することには意味がある。ということらしい。それに対しての母の回答が、

 

「んじゃ、わたしも50万円寄付するわ」

 

ズコーッ

 

なんだ、その「決めた、私、クリスマスに○○先輩に告白する!」「××子が告るなら私も同じ日に告る!」的なノリは。

 

なんでも、生活が苦しいのに多額の寄付をすることが教会内で美談のように語られており、「支払わないのは心苦しい」というのが母の本音なのだ。くわしく問い詰めてみると、「貧乏人に思われるのは癪だ。私には実は金があるというところをみんなに見せて尊敬を得たい」ということらしい。まあ、母には母で、所属するコミュニティ内での立場というものがあるのは分かるのだが、あまりにも緩すぎる財布のヒモに、俺は戦々恐々なのである。

 

ちなみに、息子の「おばあちゃん、誕生日プレゼントにニンテンドースイッチ買って?」に対しては「おばあちゃんは年金生活者だから買ってあげられないんだよ、ごめんね」と言っていた。寄付を47万円にして、3万円で息子のニンテンドースイッチを買ってやれやとは思わないが、いろいろモヤモヤする今日この頃なのでした。