ほぼ日刊レトロゲームレイダース

レトロゲームについて、ほっこり&もっこりする思い出話と雑談多め



おじいちゃんがおばあちゃんをあの世に連れて行こうとした話。

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今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

こんにちは、レトロゲームレイダース/ジョーンズです。統合失調症のため幼い私を育てられなくなった母は、おばあちゃんを召喚し、幼稚園時代、私はおばあちゃんに育てられました。おばあちゃんは本当に優しくて、私はすっかり甘やかされて育てられ、食べ物はカステラしか食べられず、飲み物はオレンジジュースしか飲めない、問題児に育って幼稚園では苦労しましたが、今となってはいい思い出です。おじいちゃんは戦争で死んでいたので思い出がまったくないのですが、おばあちゃんから聞いた唯一のおじいちゃんの話が表題の通りのこわい話でした。

 

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おじいちゃんが死んだ戦争

おじいちゃんは戦争中に満州で亡くなったそうです。戦闘で亡くなったのではなく、変なものを食べてお腹を下して亡くなったとか。その頃、おばあちゃんは朝鮮半島プサンに屋敷を持っていて商売をしていたそうで。たくさんの朝鮮の人たちを雇って上手くやっていたそうですが、戦争が終わって日本が負けたことが広まった途端、昨日まで「奥様」と言っていた使用人たちが態度を豹変。屋敷のあらゆるものを強奪して、破壊して、おばあちゃんは生まれたばかりの私の母と、3人の子どもたちを連れて逃げるのがやっとだったそう。よっぽど怖い目に遭い、人間不信になりかけた経験からか「朝鮮人だけは信用するな」がおばあちゃんの口癖でした。

 

日本に戻ってきたおばあちゃんですが、すでにおじいちゃんが死んでいてどこに行けばいいかわからない状態。高学歴だったおばあちゃんは都会のほうが仕事はありましたが、幼い子ども4人を食べさせていくには、田舎のほうが食料があると考え、おじいちゃんの親戚筋の住む四国へ。まったく見ず知らず土地で女手1つで子ども4人を育てていくことになったのでした。教員免許を持っていたおばあちゃんでしたが、そうそう教員の空きはなく、また知り合いのいない土地では融通もきかせてもらえなかったそう。そこそこいいところのお嬢さんだったおばあちゃんですが、それこそ、生きるためならなんでもしたそう。なれない野良仕事に汗を流し、男たちに混じって力仕事もしていたそうです。

 

おばあちゃん曰く。ケチのつけはじめはおじいちゃんと結婚したことだったとか。朝鮮にチャンスがあると聞いて日本の家をすべて売って投資をしてそこそこ成功したまでは良かったが、戦争で家も財産もすべて失った。日本で店を経営していれば、空襲で焼けたとしても、土地の権利などは残っていた。朝鮮での土地はすべて戦争のゴタゴタで無くなった。おまけに子どもは4人もつくって、本人は戦死。お国のために死ぬならまだしも、食い意地の悪さで死ぬなんて、残された家族がどう思われるのか考えたことがあるのだろうか。幼い子ども4人をこれからどうやって育てていけばいいのか。いつもそんなことを考えていたそうです。

 

ある夜、夜中におばあちゃんは目が覚めました。なんで目が覚めたのか分かりません。親戚から借りたあばら家を見渡すと、玄関のところにおじいちゃんが立っていました。その顔を見た途端、おばあちゃんの口から出てきた言葉は罵詈雑言ではなく、「おかえりなさい、あなた」だったそう。そのまま抱きついて泣き出したおばあちゃん。おじいちゃんはそっと抱きしめてくれたそうです。

 

どれくらい時間が経ったでしょうか。おばいちゃんが落ち着いてくると、おじいちゃんは手を出してきたので、握りました。ひんやりと身体の芯にしみる冷たさだったそう。そのまま外に連れて行かれました。この人と手をつなぐなんて何年ぶりだろう。そんなことを考えていると、そのうち景色は知らないところになっていきました。そのうちすっかり真っ暗になり、足元もよく見えません。なんだかとても長い階段があって、おじいさんはおばあさんの手を取って、下へ下へと歩いていく。この道はどこまで続いているんだろう。あまり遠いと帰るのが大変だなぁ。子どもたちの朝ごはんを作らなくちゃいけないのに。そう考えて、「あなた、どこに行くの?」「この先に何があるの?」と聞いてもおじいちゃんは何も言いません。

 

この人はいつもそうだ。私には何も言わないで大切なことを決めてきて。こっちの事情なんておかまいなし。そう思ったらカチンと来て、手をふりほどいて、何かを叫んだそうです。ところが自分が何を叫んだのか、おばあちゃんにはよく分かりませんでした。なぜなら、けたたましい赤ん坊の泣き声で目が覚めたからです。声の正体はまだ赤ん坊だった私の母でした。「おお、よしよし」と抱きかかえると、その身体はとても温かったようで。おじいちゃんの手の冷たさと大違いでした。

 

その瞬間、おばあちゃんは吹っ切れたそうです。自分にとって何が大事なのかが、よく分かったような。この時代に幼い子ども4人を育てていく覚悟が決まったような。そんな晴れやかな気持ちになったとのことでした。

 

それからの生活も大変だったそうですが、悲観的になることはほとんどなかったそう。前を向いてガムシャラに生きなければ生きられない時代だったのでしょう。

 

この話を聞いたあと、当時大学生だった私はおばあちゃんに言いました。「おじいちゃんは、きっと大切なことが何かを教えに来てくれたんだね」と。

 

するとおばあちゃんは、「どうだろうね。あの人は自分勝手な人だったから。1人じゃさびしいから私も迎えに来ただけなんじゃないかな」と言ってました。そんな二人ですが、今では千葉県にある墓地でいっしょに眠っています。

 

敬老の日とは、お年寄りをただねぎらうのではなく、その人の歩んできた人生をねぎらうことが本質のような気がします。いい機会なのでいろいろ話を聞いてみるといいかもしれませんね。おじいちゃん・おばあちゃんの知られざる一面を知る機会になるかもしれませんし、そこには大きな学びがありそうな気がします。