ほぼ日刊レトロゲームレイダース

レトロゲームについて、ほっこり&もっこりする思い出話と雑談多め



【そこそこ最近のゲームの話】『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』は、さよならドラゴンクエストだった話。

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今週のお題「ゲームの思い出」

ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』は、「そうそう、ドラゴンクエストってこうなんだよね!」「俺たちが好きなRPGって、こうだったよね!」と思い起こされてくれる最新鋭のレトロゲームだったと思います。でも、「すばらしい!」と両手をあげて絶賛できませんでした。なぜなら、作品の大テーマが回顧主義であり、常に新しい分野の開拓を行なってきたドラゴンクエストが「その主義を決定的に曲げた!」とも受け取れる作品だったと、私は感じたからです。

 

 

 

 「懐かしくて、新しい」。

まさにそういう作品だったドラクエ11は、マーケティングによって徹底的に「ファンが好きなドラクエ」を研究し尽くして作られたものであり、そういう制作姿勢を否定するわけではありませんが、「ここまでファンに媚びたドラクエは見たくなかった」という個人的な思いがあり、「最高なんだけど残念」という感想なのです。

 

ドラゴンクエストXI』の開発コンセプトは、まさにサブタイトルの通りで、「過ぎ去りし時を求めて」であり、「かつてドラクエをプレイしたことがあるけど、今はゲームから話してしまった層に、もう一度ドラクエを遊んでもらうこと」だったと推測しています。だからこそTVCMもこんな感じ(↓)だったわけで。

 

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スマホゲームの台頭によって、コンシューマゲームの存在意義が問われている2010年代後半。 『ドラゴンクエストXI』は、ドラゴンクエストブランドを守るためであり、「本当に面白いゲームってこういうのだったよね!」とユーザーに思い出させるために、作られました。

 

そのため、作品全体に「ドラゴンクエストらしさ」が散りばめられていると同時に、「80年代・90年代RPGらしさ」があふれています。『ドラゴンクエストIII』のジパングの雰囲気を持つホムラの里、『ドラゴンクエストIV』のような闘技場のあるグロッタの町、『ドラゴンクエストIX』を彷彿させる世界樹がキーとなる世界観、他にも細かいところを見ていけば、いろいろと懐かしい要素がたくさん詰まっています。それは、戻ってきて楽しい「懐かしさ」といえるでしょう。

 

ゲームを引退したお父さんが子どもが持っているハードでもう一度勇者に戻れるように。わざわざ開発体制を2つ作って、プレイステーション4とニンテンドー3DSの2ハード版を同時発売という前代未聞なことまでしたのは、ユーザーのとり戻しに全力で取りかかったスクウェア・エニックスの本気が見えるものでした。ニンテンドー3DS版に至っては、スーパーファミコンのような2Dモードまで搭載。まあ、あれはオマケのようなものであり、個人的には「やるならもっと気合いを入れろ」と言いたい中途半端なものでしたが…(何様だ)。

 

お父さんが懐かしくて遊んでいて、それを見た子どもが興味を持つ…。そのような流れも想定していたのかもしれません。事実、ウチの息子は、『ドラゴンクエストXI』が初ドラクエで、今は過去作を遊び始めています。

 

個人的にすごく良かったのは、鳥山明先生のデザインが発表されたときに不安を感じた仲間たちが、「本当に楽しくいいヤツばかりで、彼らとの旅が楽しかった」ということです。

 

序盤から主人公を何かと助けてくれるカミュ。彼はただのお人好しではなく、彼自身の心のキズからの救いを求めて予言者の言葉にすがっていたわけですが。そのための勇者助けがそのうち彼自身が主人公を認めて仲間として認めていくあたりがとても丁寧に描かれていたと思います。

 

ベロニカは、その可愛らしい風貌とギャップのある性格で、パーティのムードメーカーなわけで、攻撃魔法の性能も手伝って常に一軍メンバーなわけですが。まさかのイベントでの死亡というド級の展開に衝撃を受けました。それからのベロニカロスが本当につらくてつらくて。一周目クリア後の時渡りで「やりなおす」ことにあまりを意味を感じなかったとかレビューを書いているゲームライターとは一生友だちになれないと私は思いました。

 

セーニャに関しては、鳥山明デザインと思えないほど地味な女の子で、「おい、本当に大丈夫なのかよ」と思っていましたが。前半のスイーツ大好きおっとり女子からの、ベロニカ死亡後に能力を引き継いで賢者化した成長具合を見ると、おじさん涙が止まりませんでしたよ。

 

シルビアは一番嫌な予感がしていたキャラでした。この手のキャラは、三流のシナリオライターが書くと際立ったところだけが協調されたキワモノにしかならないわけですが、いい意味で期待を裏切ってくれました。強さと弱さと信念を持った魅力的なキャラクターだったので、本作では一番好きかもしれません。

 

ロウは、ストーリー的に重要な語り部であると同時に、ギャグパートも担当する楽しいおじいさん。ただ飄々とするだけでなく、普段あまり見せない心の強さと努力家である一面が見える試練の里での話はグッときます。

 

みんな大好き、お色気担当のマルティナさん。ピンク部分も重要なのですが、カミュ同様に、なぜこのたびに参加するのかという理由がきちんと描かれている点がいいです。彼女は非力さゆえに、過去に約束を守れなかった後悔をずっと感じており、だからこそ強くなろうとしたわけで。そうして得た力が、実は生きていた勇者の目的達成のために活かされるという展開は、胸アツです。

 

3D化するうえで仕方がないことなのですが、気になったのは、非鳥山明デザインのキャラクターたちです。『ドラゴンクエストX』のようにめちゃくちゃやらず、ドラクエらしい節度を守ったセリフや立ち居振る舞いをしているものの、どうにも絵としてのデザインセンスの差が目についてしまいます。自分の感想が前時代的なのは充分理解しているんですけどね。こればかりはちょっと、受け付けなかったです。

 

演出面で最低だと思ったのは、時渡り後の世界でのフィールド曲に『ドラゴンクエストIII』の「冒険の旅」が使われた点と、ラスボスとの本戦で『ドラゴンクエストIII』の「勇者の挑戦」が使われた点です。ファンサービスとしてはいい判断かもしれません。しかし、作品として重要なところに安易なファンサービスを入れた点は、ちょっと疑問です。

 

邪神復活によって世界が混沌としているあの状態を歩くのは、BGMとして「冒険の旅」はふさわしくないと個人的に感じています。あの曲は、まだ見ぬ世界に希望を膨らませる曲だと思うので。もっと雄々しく立ち向かうような曲のほうが良かったのではないでしょうか。「勇者の挑戦」という曲は過去作でラスボス戦で使用された曲ですが、テーマは曲名の通り「挑戦」なんですよ。ずっと背中を追ってきた父親を超えて、父親がなしえなかったことに挑戦するときにかかるから「勇者の挑戦」なんですよ。この曲を使うのなら覚醒タイミングであるべきだし、本作においては「勇者とは、決して諦めない人のこと」と言われたあそこだと、私は思いました。

 

鳥山明デザインキャラであるグレイグがパーティメンバーになったことが象徴であるように、旧開発陣営が徹底的に「ドラクエってこういうことだ」というサポートをしたうえで、新開発陣営にバトンが渡された――。そんな印象を『ドラゴンクエストXI』で私は感じました。

 

だから、「最高なんだけど残念」。さよならドラゴンクエストという気持ちだったり、ありがとうドラゴンクエストという思いだったりするわけです。