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【レトロゲームの話】『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』は、戦闘集団をつくるのではなく、家族を再生しに行く旅っつー話。

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今週のお題「ゲームの思い出」

ドラゴンクエストV』の制作が難航したのは、あらためて作品を見ればよく分かります。本作は、ゲーム中盤からゲームデザインがガラリと変わる仕様となっており、その仕様とは、「『ポケットモンスター』のように戦闘したモンスターを仲間にできる」というもの。こっちのほうがアイデアは先ですけどね。このような大胆なゲームシステム変更を超人気シリーズのナンバリングタイトルでやったというところがスゴイことです。

 

 

 

 その根底には、堀井雄二さんが課したドラクエの使命「国産RPGの可能性を広げていく」に対して、これまでに見たことがないことをやる、誰もやらないことやる、という覚悟があったのでしょう。ひょっとしたら、敬愛する古典RPGウィザードリィ#4 ワードナの復活』(#1のボス・魔術師ワードナとなって魔物を召喚していく作品)への挑戦という意味合いがあったかもしれません。

 

前作『導かれし者たち』ですらシリーズ最多の10人パーティ(旅をする仲間)だったのが、本作ではモンスターじいさんやルイーダの酒場へのストックを踏まえると50体以上の大所帯にすることが可能に。仲間の大半がモンスターであるため、武器・防具の8割近くがモンスター用の新規武器・防具とのこと。ゲームバランスの調整も相当大変だったのではと想像できます。

 

たしかに、鳥山明先生の描くモンスターはシリーズの特徴であり、そんなモンスターの特殊攻撃を活かした戦闘ができるようになるという方向性はロマンがあります。事実、この方向性はドラゴンクエストモンスターズシリーズの系譜となっていきますからね。私が冒頭で「難産」といったのは、開発期間が長引いた点と目指した試みが中途半端になっていると感じるからです。

 

それは、仲間にできるモンスターが少ないこと。スーパーファミコン版で仲間にできるモンスターの数は42種類。充分多いのですが、主人公の設定は「すべてのモンスターと心を通わせられるモンスター使い」。登場モンスターは250種類以上いることを考えると、ここには違和感を覚えます。

 

誤解のないようにお伝えしておきたいのは、ゲームは破たんしているわけではないということ。ただ、当初描いていた理想のカタチには時到底届かなかったのではないか。妥協に妥協を重ねて生まれたのが本作だったのではないか。そう考えられるという話です。だとすると、異様に長かった開発期間も納得がいくというもの。ドラクエ4と5の間に、FFは新作が2作出ていますからね。

 

本作は、その後リメイクがなされていますが、仲間にできるモンスターの数は増えていきます。モンスターズの発展も「この作品でやり残したことがある」という思いがあったからこそだったのではと思うのです。

 

何が言いたいかというとですね。「そこまでのリスクを背負い込んででも、新しいことを求めた」というところこそが、ドラクエの王者たる所以だということです。

 

ドラゴンクエストV』は、主人公の幼年期からはじまり、結婚を迎える青年期(前半)、子どもと旅をする青年期(後半)の三部構成となっています。

 

なぜ、一人の主人公にスポットを当てたのか。理由の1つは、前作との対比と考えられます。『導かれし者たち』は、大勢の登場人物のさまざまな視点から語られる物語でした。本作では、逆にこれまでと同じように視点を主人公1人にしぼりつつ、これまでにない展開を狙ったようです。

 

つまり、旅だけではなく具体的な時間の経過によって、見える視点を変えていくことを狙ったのでしょう。父親に付いていく子ども⇒父の思いを知ろうとする青年⇒使命を感じる青年⇒守るべきものを得た父親というように、立場が変われば世界の見えかたもストーリーも変わってくる。このような仕掛けを狙ったと考えられます。

 

もう1つ考えられるのは、モンスターを仲間にしていくことの動機を、「戦闘集団をつくる」ではなく、「家族をつくる」にしたかったのでは?ということ。その顕著な例が主人公が辿る不幸な生い立ち。過酷な運命にさらされる彼は、両親がそろって平穏であたたかな家庭を体験することがありません。ゲーム中のイベントも唐突な別れが多く、プレーヤーに誰かに会いたいと思わせる仕掛けが多々あります。ドット絵とデータで構成されたモンスターたちを、プレーヤーにとってそれ以上の存在にしようと考えられているのです。

 

本作といえば、結婚イベントも大きな特長ですね。結婚相手となる、ビアンカとフローラ。彼女たちに共通しているのは、両親が揃ったあたたかな家庭で育っているということ。それは、主人公が手に入れたかったもののであり、そんな環境で育ってきた彼女たちには、愛あふれる家庭がつくれる(予感がする)、主人公にとっての欠落部分を埋める陽の存在として設定されている点にも注目したいです。

 

これは、脚本づくりの人物形成でいわれることですが、登場人物の生い立ちなどの設定はストーリーの説得力や納得性を形成するために大切な部分。おそらく多くのプレーヤーが、ビアンカとフローラのどちらを選んでも主人公は幸せになれるだろうと、マイナスの感情を抱かないのは、このような基盤作りがあるからです。

 

ニンテンドーDSのリメイク版から登場したデボラは、これを逆手に取っており、プレーヤーを不安にさせることで、"第三の選択"を際立たせています。

 

ゲームの序盤、船着き場についたパパスと主人公。ババスは用事があるからと主人公に「近くで遊んでいなさい」と言うのですが、主人公は言いつけを守らず外に出てモンスターと遭遇。すると、1ターン目で「パパスが かけつけた!」と、パパスが加勢してくれます。

 

戦闘が終わった後、ほとんどダメージを負っていなくても、パパスは「ケガはないか?」と主人公にホイミをかけてくれるのです。子どもを持って父親になってからこのシーンをみると、「たしかに父親ってのは、こういうものだよな」と思います。そして同時に、パパスにとって主人公といっしょに旅をした時間は、先の見えない長い旅の中での唯一の癒しだったんだろうなぁ…と。

 

神は細部に宿るもの。作品全体としては、迷いと諦めが見えなくもないのですが、リメイク版ではそれらが補完されていい感じになっています。これを機会にぜひプレイしてみてください。