ほぼ日刊レトロゲームレイダース

レトロゲームについて、ほっこり&もっこりする思い出話と雑談多め



【レトロゲームの話】 MSX・FANと、ひたすらプログラミングを打つ日々と、MSX2+はいい匂いの話。

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かつてMSX・FANという雑誌がありました。

 

徳間書店から刊行されていたその雑誌は、MSXというホビーパソコン専用雑誌です。ゲームを中心にプログラミング記事、読者投稿のプログラムなどが掲載されており、MSXユーザーにとってはまさに実用書といえるものだったと記憶しています。

 

今回は、中学生の頃の私とMSXとの生活の話です。

 

 

これは、中学生の頃の話。

 

いろいろあって(※)、私は小学校でファミコンを卒業し、活動の場をMSXのほうにシフトさせていくことになりました。

 

『マネ会』に寄稿した記事に経緯が書かれています。

 

MSXのゲームは価格が高く、平気で7000円台とかしていました。とてもじゃありませんが、田舎の中学生のお小遣いで買えるものではありません。だから、「自分でつくる」しか道はありませんでした。

 

私が購入してもらったのは、SONY製のF1XDJという型のMSX2+です。MSXというのはパソコンの統一規格の名前であり、当時いろいろな電機メーカーがMSXを出していました。「MSX2+」というのは「MSX」のパワーアップ規格である「MSX2」の追加装備バージョンみたいな存在であり、F1XDJはFM音源と漢字ロムが標準装備だったと記憶しています。

 

SONYのF1シリーズは「ゲームをつくる」ことを売りにしており、ゲーム開発用のサンプルソフトなどもいくつか付いていました。そのデータを書き換えて、少しずつ作っていこうね的なサポートだったのですが…。ちょっといじってみた感想は、「プログラムのことが分からないと手を出しづらいな」でした。

 

データ部分をいじるわけですから、DATA文がそもそもどういう役割を果たしているのか分からなければ、手の打ちようもありません。

 

なので、私のMSX生活は、プログラミングの独学からはじまりました。F1XDJに付いてきた本は命令文のマニュアルみたいなものでしたが、これはプログラムとセットで見なければよく分かりません。そこで、町にある本屋(ファミコンブームでトチ狂わなかった本屋があと2軒あった)でMSXベーシックプログラミングの初級本を買い、そこに書かれているプログラムをポチポチと打ち込んだのでした。

 

最初に打ち込んだのは、「ルーレットゲーム」です。大きく表示された3つの数字がランダムに表示されて、スペースキーを押すと左から順に数字を止められる…というもの。とてもシンプルなプログラムです。ところが、初めてだったこともあり、打ち込むのに2時間近くかかってしまいました。そして出来上がったのがこんなシンプルすぎるゲーム。私は眩暈がしました。労力に対して対価が少ない。ここにきてプログラミングの大変さをようやく知ったのです。ぐふっ。

 

しかし、このシンプルなプログラムに、いろいろと肉付けをしていきました。背景の色を変える。点数を表示させる。SEをつける。数字を9個表示にする。斜めの当たりを作る。一定の点数を超えるとエンディングが流れる…など。しょうもない増築ですが、これによって、私はプログラミングの面白さに取りつかれていきました。

 

自分のウデでできることは限られている。そのできる限りのことで、よりいモノを作っていきたい。

 

その思いを叶えるためには、ショートプログラムの例題がたくさん必要でした。そこでMSX・FANの定期購読がはじまりました。たまたま立ち読みをしたMSX・FANに、「ファンダム」という編集部や読者が作ったプログラムが多数掲載されていたからです。私は毎号MSX・FANを買うと、ファンダムに載っているプログラムを打ちこみ、その後、マニュアルを片手に命令文の役割を覚えつつ、プログラムがどういう構成になっているかを解き明かし、少しずつできることを増やしていったのでした。

 

毎日飽きもせず、プログラミングばかりしていました。なぜ、そんなことができたのか。MSX・FANにはMSXの市販ゲームの紹介記事が載っていました。そして、市販ゲームよりは劣るけど読者投稿のゲームも載っていました。今、自分がやっているプログラミングの延長線上に市販されているゲームがある。そんな「地続き」を感じられたからです。

 

自分はいつか「つくる側」に行く。MSX・FANの記事に載っている、ゲームの開発室の一員になって、仲間たちといっしょに市販のゲームをつくる。そして雑誌記者のインタビューに開発状況を答える。そんな夢を抱きました。

 

結局、その10数年後にその夢は叶うわけですが、ゲーム開発室は思っていたほど夢に溢れてはおらず、仲間たちもそんなにエネルギー量があるわけでもなく、才能もやる気も予算も時間もない中で批判にさらされるモノを作らなければならない苦しみを、10代前半の私は何も知りませんでした。

 

同級生の女の子たちが、次第に肉付きがよくなっていき、胸も少しずつ膨らんできて、いい匂いを放っていく中、私は自宅で起動したMSXが放つ独特の匂いに包まれながら、ひたすらプログラミングする日々。

 

「暗い」と思われるかもしれませんが、今でもあの頃に戻ってみたいとちょっとは思うほど、とても幸せなものでした。