ほぼ日刊レトロゲームレイダース

レトロゲームについて、ほっこり&もっこりする思い出話と雑談多め



【雑記】「レトロゲームが好き」というだけで、噛みついてくる自称ゲーマー様(笑)がウザイ話。

私はレトロゲームについて語るブログ(レトロゲームレイダース 最後のゲー戦)を運営しているのですが、ときどき、というか、一定の周期で、「お前みたいな懐古主義が今のゲーム市場をダメにしているんだ」というお叱りを受けます。ゲームを愛する自称ゲーマー様(笑)に、です。

 

私は紳士なので、とりあえず、相手の言い分も聞こうという姿勢ではあるのですが、何しろ相手が罵詈雑言のヒット&アウェイのヘタレであることが多いため、IDをもとに藁人形をつかってインポ&デブになる呪いを放つぐらいしかできません。はい。

 

同じゲームを愛する者同士なのに、なぜか「対立」構造を作りたがる人たちがいます。ハード間、世代間、カテゴリー間…まあ、なんでもいいのでしょう。

 

前述した意識高い系の自称ゲーマー様からいただいた数々の言い分に感じるのは、「今のゲームをやっている自分=偉い」「レトロゲームといって昔のゲームを持て囃す人=今のゲームからの脱落者=自分より下」という、意識的なマウンティングです。

 

まあ、ヒマな人間がよくやりたがるアレですよ。くだらないですな。

 

結論から先に言えば、人間には「自分が理解できない人たちのことを好意的には受け取れない」という性質があります。人間レベルの低い人は「他者理解」「多様受容」というアビリティを身につけられないので、理解しようとせずに即・敵認定をしてしまうのでしょう。まあ、こういう人は、リアル社会でも大概アレです。

 

とはいえ、レトロゲーマーにも問題があると思います。

 

懐古主義にどっぷり浸かっていて昔を懐かしんでいるだけの人間は、はっきり言ってどうしようもないですよ。「昔はよかった」が口ぐせで、今というリアルから目を背けるためにレトロに走っている人間はただの老害です。レトロゲーマーの中に、実生活を崩壊させてそっちに傾倒している人がいるのは事実。それが外から見るとどう思われるかというのも一理あるわけで。レトロゲーマーたちが閉鎖的なコミュニティを作りがちなのも事実でしょう。ただし、そういう人たちばかりではありません。そして、好きなことをして何が悪いということでもあります。

 

月並みのことですが、どっちが好きだろうが、それはそれでいいんじゃね?というのが、よくある結論に行き着くわけです。

 

ただ、ですね。

 

言い訳っぽい感じになってしまうのですが、私がレトロゲームの発掘をしているのって、実は未来志向(…のつもり)なんですよ。

 

日本のゲームコンテンツ力が下がっているのは事実だと思います。これは、日本発売のゲーム作品の売上などを見ても間違いないでしょう。その原因は、ゲーム会社の開発体制だけにあるのでしょうか。私はもっと大きな問題ではないかと感じており、日本という国の人間力の低下が招いていると思っているわけです。

 

人間力というざっくりした言葉を使いましたが、クリエイティブに対するエネルギー量みたいなモノのことと思ってください。それが大きく減少していることと比例しているのではないか?と思っているわけです。これはオタク定義が変わってきたこととも無関係ではありません。

 

昔のオタクは、特定分野のインテリであり、行動力があり、アウトプットに飢餓感がありました。こういう人たちが、クールジャパンといわれたコンテンツを創ってきたわけですが。今のオタクは、違うと思うんですよね。

 

オタクという生き物は、かつては愛情の量がすごい人のことを指しており、その愛情を伝えるために膨大な知識を用いてアウトプットしていました。そのアウトプットも場所と機会が限られていたため、エネルギーの放出がとんでもないわけですよ。

 

しかし、オタクをとりまく環境の変化に伴い、愛情量のアウトプットの仕方が変わってきました。1つはお金。「どこまでつぎこんだか=愛の大きさ」となってきています。いや、以前もその傾向がありましたが、よりお金のほうに大多数が寄ってきた、というべきでしょうか。愛情の総量も減少傾向にあります。コンテンツが多すぎて、1つのものに集中できないというのもあるでしょう。そもそも同人誌の即売会にビジネス視点を持ち込んで、「好きだから描くのではなく、売れるから描く」というのもそもそものカタチとは変わってきているわけです。

 

いろいろ書いてきましたが、問題は「"好き"の考察不足」

 

なぜ、「俺の心はこの作品にここまでかき乱されるんだ!?」というとき、その原因を考えて探るチカラが今の日本人には決定的に不足していると、私は感じています。クリエイティブに関わる人間は、心が動いた理由を追求しないと、それを武器にできません。武器にできないということは、クリエイティブに関わる者としては失格ではないでしょうか。

 

ゲームの話に戻ります。

 

日本発のゲームで世界で通用する作品以外のものに蔓延しているのは、そこそこ売れるゲーム開発というパッケージ化された作業工程のなぞりです。レトロゲームは表現力では最新のゲームにすべての面で劣りますが、作家性と情熱は比べられないほど豊富といえます。そもそもSFが大好きでSF小説で食っていきたいと思っていた人が、そっちに行けないからその鬱憤をゲームのシナリオを書くことで発散させていた…。そんな環境で作った作品のパワーに勝てるわけがないじゃないですか。

 

何が言いたいかというと、「レトロゲームからは学べることはある」ということ。

 

14世紀のイタリアからはじまったルネサンスのように、停滞期に陥ったとき、過去の遺産を研究することで、新しい創造性が生まれることはあります。私がレトロゲームを発掘して見つけているのは、ただ懐かしいゲームではなく、あの頃のゲームは何を持ってプレーヤーの心をグッと来させたのか、という方程式です。

 

それは未来につながるものだと思っています。

 

うん、なんか自分の考えを吐き出すといろいろ恥ずかしいですね。お酒が入ると、おっさんは語りたがるのがいけないところ。風呂入ってもう寝ます。なので、一応ここまで考えている俺様が、ゲームしかしていない自称ゲーマー様(笑)になんでコケにされないといけないんだ。バカヤロウ。お前なんかどうせニートだろ…と、人間は理解できない人種のことを意識的にマウンティングしてしまいがちなものなのです。

 

気をつけたいものですね☆彡