ほぼ日刊レトロゲームレイダース

レトロゲームについて、ほっこり&もっこりする思い出話と雑談多め



【雑談】自分からクリエイターを名乗っている人間は、だいたい三流で、肩書きに酔っているだけの話。

これはツイッターのほうでもつぶやいた話なのですが。

 

アカウント名に「@クリエイター」をつけちゃったり、プロフィールに「クリエイティブ職種名」を書いちゃったり、聞かれてもいないのに自分で「クリエイティブ職」と名乗っちゃう人の9割は三流、というのは真理だと思う今日この頃な私です。

 

そういう人たちに共通しているのは、「クリエイティブ・創作=崇高なモノ」と勘違いしていること。

 

「俺(私)は、モノを作れる人間だぜ。ウエーイ」という、浅はかでうらやましいお花畑思考がそこには見て取れます。

 

 

ただですね。

現実的な話をさせていただくと、モノを作ることなんて、誰にでもできることなんですよ。大切なのは、作ったモノがクソの役にも立たないものなのか、役に立って評価されるものなのか、なわけです。クソなものを作ることに必要なものは行動するだけですから。誰でもできるでしょう。行動が褒められるのはなろう系小説の異世界だけですから。

 

例えば、プロフィール欄にクリエイターと書いちゃいそうな自称YouTuber。大して話題にもならねえ&面白くもない&視聴者も少ない動画を毎日せっせとアップしていますが。それって、クラウド上にそこそこ大きな容量のウンコをこしらえているだけと違いますか。何かの役に立つんですか。

 

例えば、プロフィール欄にクリエイターと書いちゃいそうな自称同人作家の先生。「締切やばい」とか「新刊落ちる」とかつぶやいてて楽しそうですが、印刷して製本した本を即売会に持って行って、ほとんど売れずに持って帰る資金と時間と労力って無駄じゃないですか。意味があるんですか。

 

いや、趣味とか好きなことを否定したいわけじゃないんです。「クリエイティブ・創作=やらなくていいこと」という自覚があるかという意識の差は、結構大事なことという話がしたいわけです。

 

結論からいうと、役に立たないモノを作ってもそれはただのゴミなんですよ。一見、クリエイティブしているように見えるけどゴミしか作っていない、ということは世の中に散見されるわけでして。今回私が話題にしている無自覚な三流のみなさんは、この自覚がない場合が圧倒的に多いと感じています。すみません、偉そうに言っています。

 

「自己表現=すばらしい」と思っていらっしゃる場合が多いのですが、そもそもお前の自己表現に誰が興味を持つんだという話が先にあるわけで。自己顕示欲から生まれたカタマリをゾイッと見せられても、正直こちらとしては困るだけです。ウソはつきたくないし、正直に言えばキズつけるし。で、お金が発生する場合もあるでしょ。よくゴミを売ろうと思ったなと。『無能の人』を地で行くというね。

 

でもね。ゴミを否定するつもりはありません。クリエイティブ・創作の過程で上手くできなくてゴミになってしまうことは、往々にしてあると思います。でもそのゴミは、クリエイターを育てるために生まれたものであり、本人のクリエイティブ・創作の礎になっていきます。そう、意識して作られたゴミは、未来につながるゴミ。それにはそれなりの価値があります。

 

「クリエイティブ・創作=やらなくていいこと=ゴミをつくるリスクがあること」と分かっている人は、意味があるものを作る、依頼に対して目的を果たすものを作る、という姿勢があります。これ重要。スキルアップと誰かの役に立つというところを見ているわけです。目的があるわけですから、否定的なコメントがあっても自分にない視点かもと成長の糧にできます。

 

「クリエイティブ・創作=崇高なモノ」と勘違いして「自己表現=すばらしい」と思っている人は、目的が自分のほうを向いています。なので、否定的なコメントに対して、自分が否定されたという心持ちになりがち。時は発言者にキバを剥いたり、コメントを無視したりして、成長機会を逃します。

 

ね、三流でしょ?

 

こういう輩が広告業界には意外とたくさんいて(そうじゃない人もいっぱいいるのですが)、悪いのを引くと一緒に仕事をするとき最悪なんですよ。宣伝会議の安くない講座でなまじいい点数とか採っちゃってそれを心のよりどころにしている奴なんかは、目も当てられませんね(個人的な印象です)。

 

この間は、そういう三流の方といっしょに仕事をしたのですが、制作物に対してクライアントから注意が入ったわけです。「トーンがうちのブランドイメージと合わないから調整してくれ」と。それに対して「イヤです」と断りやがってですね。「あの会社はこれまでセンスが悪かったので、この機にセンスを上げましょう」みたいなことを言い出して。そんなにいい制作物でもないのにですよ。お金出してもらっているクライアントに言うにしても言いかた・提案の仕方があるでしょうよと。挙句に、「凡人に俺のクリエイティブが汚された」とか言い出しやがって。傲慢でしょ。相手のことを考えられていないでしょ。

 

んで。コイツ、ダメだなと思ったわけですよ。で、なんでダメなのかを考えてみたら、上記のような心の問題に行き着いたわけです。そういえば、初めて会ったときから、やたら職種名を強調していたヤツでしたっけ。

 

完全に私見ですけど、クリエイティブ系の仕事をしていて本当に凄い人って、謙虚な方が多いです。肩書きで仕事しません。下っ端にも物腰やわらかくて、新人の意見もきちんと聞いて、自分にない視点だったら貪欲に自分の糧にしようとします。手間と時間のかかる仕事だからこそ、きちんと目的を果たそうとして、みんなの手間と時間を意味にあるものにしてくれます。こういう人を一流っていうんだろうなと。

 

最後に、オープニングで話をした残りの1割の人の話。

 

これは、自分で名乗ることで退路を絶って絶対に成果を出すという覚悟をしている、やっぱり一流の人だったりします。

 

肩書きと自己表現に酔っているだけの人は、クリエイティブや創作を辞めるべきです。ゴミばかり増やしていくから。エゴだよ、それは。でも、辞めれば燃やされるものが減るので。エコだよ、それは。地球にやさしいってそういうことだと思います。それでも、クリエイティブな道に進みたいのなら、ムダを減らす努力はしようぜ。

 

いかに価値あるものを作っていくか。その葛藤こそがクリエイティブであり、その意識無くして名乗ることは、偉大なる先人たちを無自覚な三流と同じステージとして語っていることと同義で、相当失礼なことをしている&分かっていないことを自分でぺろーんと出している恥ずかしいアピールという側面もあるわけです。

 

一流というのは誰でもなれるわけではありません。しかし最低でも、努力しつづける本質の分かっている二流でありたいと、私は思っています。