ほぼ日刊レトロゲームレイダース

レトロゲームについて、ほっこり&もっこりする思い出話と雑談多め



【レトロゲームの話】『ディスクシステム』と、お父さんと、かわいくない息子の話。

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『ディスクシステム』は、1986年2月21日に任天堂から発売されたファミコンの周辺機器の1つ。ディスクカードという記録媒体を用いて、カセットでは実現不可能だった容量のゲームが楽しめるというもの。

 

『ゼルダの伝説』をはじめとするローンチソフトの出来が素晴らしく、発売と同時に大人気で品薄状態に。 手に入れるのは、なかなか困難だったのです…。

 

 

 

父親って、ソンな生き物だと思います。

 

自分が父親になって、それを実感する今日この頃。いつも家にいないから、子どもはいつも一緒にいるお母さんが大好きなんですよね。

 

奥さんに言わせると、「たまにいいことをすると子どもの中で株が急上昇するイイトコ取り」らしいのですが、いやはや。

 

父親が子どもにの尊敬を集める数少ない出番は、「入手困難な誕生日プレゼントを手に入れるミッション」ではないでしょうか。

 

 

教育熱心だった両親がディスクシステム購入を許可してくれたのは、学校の成績で親が定めるハードル以上の好成績を私がおさめたからでした。全盛期の俺のゲーム愛をなめるなよ。ゲームのためなら、オールAも余裕です。

 

そんなわけで、ディスクシステムを買いに行くことに。

 

しかし、ディスクシステムは当時人気商品であり、行きつけのおもちゃ屋でも「入荷するか分からない」という状態。それならばと、日本一の電気街である秋葉原に、私と父は向かいました。

 

父は、石丸電気をはじめとするお店を一軒ずつまわり、店員に「ディスクシステムはありませんか」を聞いていきます。ところが、どこの店員も首を横に振るばかり。

 

最初は喜んでいた私でずが、そんなことが何軒かつづいていくと次第に、「ひょっとして、今日は手に入らないんじゃないか?」と、不安がひろがっていったのです。そんな不安を誤魔化すように不機嫌になりました。

 

「ねえ!ディスクシステムはまだ?」

 

そんな風に父親に詰め寄る私は、なんて可愛くない子どもだったのでしょう。ですが、父親はそんな私に少し困った顔をしながら、「もう少し、もう少しだからな」と謝っていました。

 

私は父が40歳のときに生まれた子どもです。

 

もともと父は、愛想がいいほうでも、子どもに慣れたタイプの人でもありません。だから、家でも積極的に私に構うほうではなく、私の好きなマンガ・ゲームの話題に付いてこれませんでした。

 

だから、私の中で「父親は頼りない」という印象が出来上がっており、このいくら探してもディスクシステムに出あえない状況から、「今日は手に入らないオチ」が想像されたのです。

 

すでに足は棒のようになっており、どこかで休みたいところ。しかし、当時の秋葉原には、スターバックスカフェはおろか、マクドナルドも、喫茶店すらもありませんでした。ふてくされて、足をブラブラさせてまじめに歩かなかった私。

 

父はちょっと困った顔をしながら、私を歩道に待たせて、ガード下の薄暗い露店のようなところに入っていきました。

 

そんなところにあるもんか。

ファミコンはおもちゃ屋か電気屋さんにあるんだから。

 

そう思っていた矢先、父親が暗闇から顔を出し、私にむかって「おいで、おいで」をしました。そのお店はおよそお店らしくなく、機械や配線の匂いがしました。その奥、

 

「これでいいんだよな?」

 

と父親が指差す先に、グレーとイエローの素地にディスクシステムの写真の載ったパッケージ。それはまさしくディスクシステムでした。

 

コクンコクンと大きく何度も首をタテに振る私。父は財布からお金を出して会計をすませます。店主さんは商品を包装紙でつつみ、手提げ袋に入れて私に渡してくれました。

 

両手にかかる重量感。それは、ぎっしりつまった夢の重さに感じました。まさに、“夢いっぱいディスク”です。

 

お父さんってスゴイ。

 

幼く愚かな私は、このとき父親を本当に尊敬しました。ディスクシステムを手に入れたという事実よりも、自分との約束を果たしてくれたというところに、「本当にすごい」と感じたのです。

 

普通の玩具店・家電量販店においていなかった商品を、ちょっとアングラっぽいところに足を踏み入れて(しかもそういうところを知り尽くしているような落ち着いた佇まい)、目的を遂行する。

 

そのとき、まさしく父親は、私にとってヒーローになりました。

 

遅い昼食を、JR秋葉原駅の昭和通口にあった立ち食いそば屋ですませました。たしか父親と二人、ざるそばを立ちながら食べた記憶があります。

 

その日はずっと立ちっぱなしでしたが、もう疲れは感じませんでした。その後、父にキップを買ってもらい、ふたたび電車に揺られて帰路へ。

 

「家に帰ったらやるのか?」
「どんなゲームがあるんだ?」

 

父はそんなことを聞いてきました。

 

どうせ話したって、ゲームのことなんて分からないくせに。それは分かっていましたが、私は父に、「スーパーマリオブラザーズ2がどれほど手ごわくなっているか」「謎真村雨城が和風ゼルダの伝説っぽいか(これは見立て違いと後に判明)」、そんなことを熱く語りました。

 

父はやっぱりよく分かっていないようでしたが、嬉しそうに聞いていました。

 

その理由は今なら分かる気がします。たぶん、私がとても楽しそうな顔をしていたからなのでしょう。

 

「重そうだな。持ってやろうか?」

 

家に着くまで、何度も父に聞かれましたが、私はふるふると首をヨコに振りました。子どもながら父にこれ以上迷惑をかけたくなかったのです。「ここから先は自分の仕事」だと思ったからです。

 

手のひらにヒモの跡をたくさんつけながらも、家まで持って帰りました。でも、本当にやらなければならなかったことは、そんなことじゃなかった。でも、当時の私には恥ずかしくて言えませんでした。それはたったひと言のお礼。

 

「お父さん、ありがとう」

 

そのお礼の言葉は、25年後、父が亡くなるちょっと前の病室で、ようやく言うことができました。

 

ファミコンとディスクシステムには、こんな思い出があります。